さすらい婦人 ~旅情篇~
2011.02.28
皆様、暫しご無沙汰致しておりました…真珠女将で御座います
先刻告知しましたやふにわたくし、故郷は美濃の国の帰省から戻ったところでありまして
つれづれなるままに心に留めました事々を綴ってみたく候、先ずは旅情篇から、、、
短い帰郷の間、時を惜しんで二つの小旅行を敢行してまひりました
先ずは、お隣の石川県は古都・金沢へ・・・・
学校を出、直ぐに嫁いだわたくしには母との二人旅行の思ひ出がなく、この度は母が思い立った旅
列車に揺られること数時間、目の前には徐々に雪景色が広がり 日本海が近いことを思わせます
多数の文豪の出身地でも知られるといふ金沢、中でもわたくしは泉鏡花記念館に立ち寄りました
国語教育科出身であるのに恥ずかしながらわたくし、鏡花作品を手に取ったことがなく、、、
「高野聖」等書名だけは存じて居りましたが、独自の幻想的な世界観に魅了される芸術家が跡を絶たないとのこと
幼き頃母を亡くした彼は、女性を神秘的で幽玄なものととらえ、美しくも魔的に描き出す 云々…
現実を遊離した世界観に読破欲が沸々と湧き上がってまいるわたくしでありました
サテ、お次は 蓄音器館なるものにおのずと導かれるやふに足が向いたので御座います
ここでも無知なるわたくし、、、皆様、蓄音器もエジソンの手による発明品とご存知で?!
二代目といふ館主の貸切解説にて、紙製・木製・金属製ラッパの音色を聴き分けたり
かの有名なヴィクター犬の由来を聴いたり、貴重な音源の数々に耳を傾けたり、、、
入館料300円では申し訳ないほどに豊かに深く染み入る音を堪能させて頂きました
その館主の勧めるまま、古は遊郭であったといふ鍋料理の「太郎」さんへ・・・
流暢な金沢弁を操る大女将に仲居さんの人情味溢れるお喋りと付きっ切りのお鍋が自慢の老舗
創業六十五年余り、お品書きも鍋一種類のみといふ潔さと澄んだ出汁に感服
その道一本で行くということの粋さと裏にある見えない覚悟にシミジミ致したあとは
元芸奴さんの営むバアなるところで、チョット一杯…女二人金沢の夜は更け行くのでアリマシタ
雪解け間近の兼六園の有名な雪吊りも清清しくて素敵でしたけれど、わたくしのお目当ては矢張り…
何といってもひがし・にしの茶屋街! かつてはひがし・にし郭(くるわ)と呼ばれる一大遊郭街でした
現在は芸奴の姐さま方の置屋さんとしての一面も持つ町並みは、海老茶に塗られた格子戸の並ぶ街
日も落ちると観光客も少なに、何処からかチントンシャンとお三味線の音も聴こえ趣深し

「郭」とは、城郭など同じく周囲を囲む意味合いがあり、今も随所に残る分厚い戸口はまさしく外界との門か
束の間の仮想の色恋に遊ぶ殿方と遊女達の悲哀が聴こえてくるやふな艶っぽい街でした
しかし、何より驚きましたのは・・・金沢の町に残る明治・大正期の建物の多いこと!
下のやふな目を見張る建築物があちらこちらに、しかも自然な形で現在も人々の暮らしに根付いておるのです

それはお醤油屋さん・お米屋さん・洋食屋さんであったり・・・仰々しい官公庁の建築物ではない、
庶民に近い人々の生活にまみえる美意識の高さ、斬新さ、職人技の精巧さに思わず辻辻で口をあんぐり
正直、加賀百万石の絢爛豪華なイメージしかなかった金沢が、出逢う人々の素朴さと親切さにホロリとし、
街中が文化遺産と言っても良いほどの思わぬ収穫に母娘二人でにっこりの古都の旅で御座いました
また、別の日は父も連れ立って三人で美濃和紙の里、美濃市へ・・・
ご存知の方も多いか、我が故郷・岐阜は関の刃物、美濃焼きなど伝統産業が多く、匠の町なのでありまして
こちら美濃市も手漉き和紙と共に、以下の通り屋根上に上がる「うだつ」群でも有名な街

アノ人、うだつがあがらないものねえ… いえいえ、ここでは家主とは関係なく立派なうだつが上がります
四月は和紙で出来た花みこしが勇壮で儚い華やかさをみせ、
十月には和紙の行灯のあかりに照らされて闇夜にボワンと浮かぶうだつが幻想的なお祭りも御座います
若干観光ナイズドされた店舗もあれど、ふらりと訪ねたるは裏路地で生活骨董と古着物扱う小さなお店
ナントマア奥には、うなるほどの明治・大正・昭和期の古人形さんたち!
初老の女将が大金はたいたのよ、、と照れながら誇らしげに見せて下さったのは専門書に載るかの如き子ばかり
わたくしの出で立ちをお気に召してか、あれやこれやとお人形達との馴れ初めを嬉々としてお話下さるのでした
こちらでは梅と鶯を模した明治期の小さきお皿にわたくしも一目惚れし、格安で我が家にお嫁入り・・・
女親に比べ口数僅かな父とも骨董通じ新たな接点が生まれたやふに思えた、小さな日帰り旅 で御座いました
サアテ、、「旅情篇」ときてお次はハテサテ・・・ ご興味おありの方は次篇をお待ちを!
Pearl