誰が故郷を思はざる
2011.08.31
夜更けの虫の音より、都心に居れど秋の気配を感じます 八月三十一日といふ日、、、
何かをせねば、と焦る我が身を省れば さふ…私事ですが本日は先日召されたお爺ちゃまのお誕生日でありまして
近年は好物の日本酒を贈る事が多かっただけに、贈り主の居ないこの日に一抹の寂しさを感じたわたくし
時は夏の終わりから秋の初め、次第に涼を増し澄み行く空に夕焼けが一段と映えまして、
頬撫でる夕風に何処となくセンチメンタルな心持が頭をもたげるのはわたくしだけでは有りますまい…
この時期にわたくしがふと、聴きたくなるのは カントリイであります
(アレ、、仏蘭西国の古着屋を謳いながら 亜米利加国のカントリイも聴くとは是如何に、、、)
さふ疑問を持たれる無かれ、、早速カントリイとは何たるちや 知識を電脳からちょいと拝借・・・
北米大陸へ移住してきたアイルランド・スコットランド・イングランドなどのケルト系やアングロ・サクソン系を中心とした西欧・北欧・東欧系の移民が
持ち込んだ音楽、特にケルト音楽やヨーデル、ポルカなどがアパラチア山脈一帯やアメリカ北東部からアメリカ南部にかけての山岳丘陵地帯の農村
などで様々な音楽の影響を受け、オールドタイム・ミュージックやヒルビリー・ミュージックと呼ばれるアメリカ民謡の基礎を形成する。
それが19世紀後半の鉄道網の発達、蓄音機の発明、20世紀前半のラジオの普及になどにともなって北米大陸全土に広まり、その伝統民謡的な
部分を保ち続け1940年代に確立された民謡スタイルの音楽をブルーグラスと呼び、逆に様々な音楽を取り入れ大衆音楽化して、
変化し続けているタイプの音楽をカントリー・ミュージックと呼ぶ。
1950年代中盤に入ると、R&B、ジャズ、ブルース、ゴスペルといった、現在の軽音楽の母体となる黒人音楽との融合が始まり、ロカビリー(ロックと
ヒルビリーの融合)スタイルのミュージシャンを多く生み出し、さらにスウィングやブギといったジャズのリズムを取り入れることにも成功、
カントリー自体が様々な方向へと多様化・細分化し始める。 また、このころを境に、民謡やヒルビリー(丘陵地帯の田舎者)音楽という概念は薄れ始め、(中略)現代的なカウボーイやレッドネック(南部の粗野な田舎者)のイメージ、さらにロカビリーの影響で不良青年やヤクザ者を強調する路線も追加される。 そして60年代にはフォーク・リヴァイヴァル・ムーブメントの影響もあり、カントリーの人気が更に盛り上がる… (Wikipediaより一部抜粋)
とマア、その源流は欧州にあったのでありまして、、、 ヨーデルなどの牧歌的な幻影とも確かに重なりますネ
仏蘭西のシャンソンも勿論大好きですけれど、更に秋の深まる落ち葉の頃がより 胸に沁みる気が致します
では、何故に初秋にカントリイ なるのか、、、
それはわたくしのあくまで主観であり、遠き日の郷愁に根源が御座います・・・
あれは、尋常小学校に通っていた時分でありませふか、夕刻になると楽しみにしていたNHK番組が御座いまして
その名は『大草原の小さな家(Little house on the Prairie)』であります
亜米利加は西部開拓時代のインガルス一家に巻き起こる悲喜こもごもに纏わるお馴染み長編シリーズ、
御覧になって居た方々は あの懐かしい開幕曲とともに ローラの面影が脳裏に浮かぶことでせふ…
広大な荒野においてライフル手に命がけで家族を守る父の姿に、幼心にもお国柄の違いを感じさせられ、
実りの頃 収穫の帰り道、揺れる幌馬車に山の如く積み重ねられた干草…
嗅いだ事も無いその干草の匂いがどうやらわたくし流「カントリイ」憧憬の根っこにあるやふで御座いまして
未だに年甲斐もなく、高原などに参りますとスキップしながら駆け下りたくなる衝動に駆られます
カントリイに多用されるバンジョーやスティールギターをはじめとする所謂鉄と弦の奏でる切ない音色…
いや、わたくしには切なく聴こえるだけなのですけれど、これらと旋律がどうにも堪らず胸を打ちまして、
喩えるならば、奄美などの土着民謡やハワイアンを聴いた時の心持に近く…専門的な知識には暗く御座いますが
故郷は 遠きにありて想うもの、、、 お国は違えど皆 郷愁の感は同じき哉、としみじみ聴き入るこの頃
天にましますお爺ちゃまと、次の日曜がお誕生日の全ての方に… 「お誕生日御目出度ふございます」
Pearl