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ロオブ・ノワール ~ディオールの時代~



今宵はRobe noir ~ディオールの時代~と題し、戦中戦後のファッションの顛末をお送り致しませふ

なお、三回を予定しておりました本章でありますが 第四回~街角から生まれるモオド~にて最終回とさせて頂きます






1939年 ドイツのポーランド進撃を契機に、第二次世界大戦へと突入・・・ ほぼ世界中が戦時体制に陥ります

44年米軍により解放される迄の5年間、ドイツに占領された巴里オートクチュール界はやむなく休業や海外移転し

巴里に残ったメゾンも深刻化する材料不足から創作活動は妨げられ、戦前からのスタイルを維持するにとどまります


非常事態は巴里のみならず、同じくドイツに宣戦布告した英国でも異例の女性雇用奨励と共に衣料統制がしかれ、

「CUT YOUR CLOTHES」と以下にあるやふに 手持ち衣類を自らリフォームすることが大々的に提唱されるまでに・・・ 
  

軍服調の角ばった肩、制服の如き簡素なフォルムに細長い膝丈スカート 時には労働着のオーバーオールに身を包み

束ねやすく伸ばした巻き髪はターバンでまとめたりしながら、女性たちは戦地に赴く夫に代わり 懸命に働きました



いよいよ物資に困窮すると ナイロン製ストッキングのかわりに巴里の女性たちは眉墨でバックシームを描いたり、

靴材料の革不足を補う為 コルク底のプラットフォーム靴が開発されたりと、涙ぐましい創意工夫が重ねられます

日本でも北国農村部の労働着であった「もんぺ」着用が奨励され 鍋等の不要金属類は武器製造の為回収されました



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fake nylons_400

ww2 worklady


上は「WE'RE WORKING TOGETHER!」のプロパガンダの元、軍需工場にてたくましく働く亜米利加のご婦人たち、、、

戦時下といふ特殊な状況は、海を隔てた亜米利加におけるモオド産業にも大きな影響を与えます

元来既製服文化が根付いていたものの 第二次大戦前はオートクチュール等の高級衣料が巴里から直輸入されたり 

型紙を買い取りライセンス契約を結んで自国生産する形態を主にとっていた亜米利加のファッション事情において、

巴里からの輸入がとだえることが、結果的に自国発の既製服(プレタポルテ)産業をより発展させる契機となり・・・

本土被害が少なかった亜米利加では以降 活動的かつユニークで量産可能な既製服が独自に生み出されます


40年代のモオドは戦時色に彩られたものであると同時に、お洒落に対する女性の本能的な執着心を呼び起こしました

また、戦闘機の廃材である風防ガラスを用いた装飾品を生み出すなど 想像力を開花させた時代とも申せませふ、、、
『世界服飾史』他 一部参照







1944年 長き占領から開放された巴里では早速オートクチュールコレクションが再開され、

翌年にデザイナーのみならず芸術家も参加した最新作の展覧会「テアトル・ド・ラ・モオド」は一年かけて世界を巡回・・・


そして47年 クリスチャン・ディオールの発表したコレクションが 世界に一大センセーショナルを巻き起こします

それは、一着に数十メートルもの布をたっぷりと用い 肩はパッドを取り払われなだらかな曲線を描き、

女性らしい豊かな胸と細い腰を最大限に強調するといふ、前代未聞の贅沢なコレクションでありました!

 
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1947年2月12日10時30分、クリスチャン ディオールは42歳にして、記者たちに初のコレクションを発表。
『ハーパース バザー』誌編集長カーメル スノーはショーが終わり、これまでにないシルエットを見た後彼女は叫びます。
「クリスチャン、あなたのドレスはまったくニュールックだわ!」
ロイター通信の記者が素早くこの表現を捕え、その場で書いた記事の中に使用し、バルコニーからモンテーニュ通りに控えていたメッセンジャー ボーイに投げて渡します。このニュースは同日中にアメリカで知られることになるのです!
それはフランスで広がるよりも前のこと。フランスの新聞は1カ月続くストライキに喘いでいました…

戦後たった2年で、ディオールは彼に相応しいコレクションを発表し、完全に制限、陰鬱なムード、配給制、重々しさ、ユニフォームの過去を終わらせたのです。彼は世界中の誰よりも真剣に、女性たちに軽やかさ、人を喜ばせる術を再び与えたかったのです。子供の時から、女性たちが自身のどこかに常にその想いを隠していることを知っていたのです。それは極限までに悲惨な状況においても同じです。このことを彼はグランヴィルで学び、第一次世界大戦の最中に、女性たちがパリの雑誌を眺めるのを目の当たりにします。雑誌は大きな苦痛を彼女たちに送り届けていたのです。 女性たちは熱に浮かされたようになり、「流行のドレス」前にショックを受け、雑誌を閉じるやいなや、走って自分のための洋服を縫いに行くのでした・・・


こうしてディオールは『ロロール』誌のタイトル通り、「世界でもっとも有名なフランス人」になります。
「花のような女性達のファムフルール、柔らかな肩、花開いたような胸元、つる植物のようなほっそりしたウエスト、
花冠のように大きなスカート」をデザインし、その唯一の目的は彼女たちを幸せにすることだったのです。
「Christian Dior」社HPより 一部抜粋


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47年初ショーの直後『Elle』誌は写真でマレーネ・ディートリッヒのふくらはぎを「世界でもっとも美しい脚」と紹介

「しかし今後は見ることができなくなります・・・なぜならスタアはニュールックのドレス10着をオーダーしたところで、

その縁のかがりが以降は彼女の脚を隠してしまうでしょうから! 」と嘆いたさふな、、、


彼女だけでなく、エリザベス・テイラー等~50年代を彩った銀幕のスタア達はこぞってディオール贔屓でありました

ニュールック以降も、ディオールはコレクション毎に女性の魅力を誇張した新しい「ライン」を続々と発表、

1930年代から庶民の娯楽として定着していた「映画」を通じ 女性たちは最新モオドを知り憧れを抱いたのであります

流行のラインを模倣した既製服を買い求めたり 街のテイラーに生地を持ち込んだり 自らミシンを踏んだり・・・

誰に遠慮もなくたっぷり生地を用い、女性らしさを謳歌することの悦びを味わったことでせふ


一方 幾分ノスタルジックな女性像を打ち出した「ニュールック」によりブラジャーやペチコート・ウエストニッパー等

一見19世紀に戻ったかの如き下着類が復活するも それはナイロン等の新素材による快適なものにとってかわります  




戦後復興と共に巴里のオートクチュール界はピエール・カルダンやバレンジアガ、ジバンシーなど多才な人材を輩出、

戦前からのシャネルなどもカムバックを果たし 巴里は50~60年代において再び世界のモオド情報発信地となりました



さあて、そんな時代の馨りが皆様に伝わりますでせふか、、、


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鈍く黒光りするサテン地をふんだんに用いた 女優気分に誘うドレスであります   
深く開いた胸元に背中、絞りこまれた腰の後ろにはリボンの大輪が咲き・・・ 



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スクエア状に開いた胸元、その下にはスパンコール刺繍の夜空が広がります
この時代らしいナイロン地、後ろには尾長鳥のやふなテールがお尻の丸みを華やかに誇張して、、、




戦時中の40年代るっくにこそ 「そぎ落とされた究極の女性美」を感じる方、

豊かで自由な開放感に満ちた戦後るっくに 「女性の夢や希望」を見る方、、


人により 何を以て「美しい」とするかはまさに、千差万別であらふかと思います




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